50年前までは、すべて自分で食べる物も使用するものも自力で作るしかありませんでした。 そのため食べる米を作り、残った稲藁を大切にして原料として数多い生活の用品を作りあげました。履物は編んだ草履や草鞋であり、敷物は畳、むしろ、物を束ねる縄、網と、畳はともかくその他は毎日のように作りあげていきました。時がたち物が豊富になるとそうした技も忘れられ作る人も少なくなりました。しかし草履、草鞋、荷繩等の作品には、ナイロン、ビニールにない温かさが残っています。
森林王国日本の代表的な器である、「桶」「樽」の歴史は意外と新しく、平安時代の頃に考案され一般に普及したのは室町時代でした。それまでは、木を裂いて作る曲げ物類がたくさん使用されていた。木材の不足が木の板を円筒に並べて側として竹等で締めた、桶・樽が発展したといわれています。以前はどこの地区でも桶を作る職人さんはおり、気軽に注文に応じていました。遠藤芳子さんの義父も夫もそうした桶屋(たがや)さんで、夫の技術を守り続ける全国では数少ない女性の職人さんです。
炭は、その歴史も古く我々日本人の生活に無くてはならない燃料の一つでした。原料のナラ・クヌギ サクラ等の雑木や竹等は日本各地の山野に至る所に存在していたからです。 遠野地区の山間部の人々も又古い時代より炭焼きを業としていました。 しかし、エネルギー革命によって、その生産は激減しました。最近炭の持つ性質が見直され、人間生活を潤す面で期待されています。 特に竹炭は化粧水・食物の味の向上、汚染の防止と需要があります。
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